倖田來未のデビュー時

倖田來未のデビュー時

ドリカムに憧れ芸能界入りを志す倖田來未ちゃんは1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組「ASAYAN」内「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において、後藤真希とその座を争っていました。

しかし、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞しました。

これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得しました。2000年12月6日、エイベックスのrhythm zoneレーベルよりデビュー決定しました。

先にアメリカで「KODA」名義でデビューをし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場19位、最高18位を記録。

更に2枚目のシングル『Trust Your Love』がビルボード総合セールスチャート初登場39位にランクイン、日本人のチャートインとしては7人目で、またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得しました。

まだ日本では無名とも言えた2000年の倖田來未ちゃんですが、その歌唱力は音楽の耳に肥えているとされるアメリカの人々に既に受け入れられていました。

そしてもし、その才能をエイベックスが発掘できていなかったら今日のエロカッコイイ倖田來未ちゃんは存在していなかったかもしれません。

倖田來未の下積み時代

倖田來未の下積み時代

倖田來未ちゃんはアメリカでの活躍もあってさらに歌唱力に自信を持ち逆輸入という形で日本にて華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったのですが、その目論見は外れてしまい、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に終わってしまいました。

さらに続く3枚目のシングル『COLOR OF SOUL』、4枚目のシングル『So Into You』でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で着実にファンを増やすものの、ヒットとはならなかったのです。

当時の倖田來未ちゃんは音楽番組に出演しない路線をとり、専らクラブなどで歌っていました。

その分大衆の目に触れられる機会が少なかったとはいえ、当時まだ倖田來未ちゃんの衣装はそこまで特徴的で目立つというまでででもなかったかもしれませんが、アメリカの人々が認めた彼女の歌唱力に日本国民が気づけなかったはなんとも汚点でありました。

本人はその時を振り返り「辛かったけど夜中3時ごろに歌ったりして、声帯が強くなったり度胸が据わったりした。下積み時代に感謝している」と述べてます。

この時期の倖田來未ちゃんの苦悩な時代が後に人気者がゆえの多忙にもポジティブに、また感心してしまう程の頑張りやさんぶりを発揮する踏み台みたいなものになったのではないでしょうか。

倖田來未のブレイク

倖田來未のブレイク

倖田來未ちゃんのまず最初のブレイクは、2003年にスクウェアソフト(現スクウェアエニックス)から発売された大作ゲームソフト「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲で7枚目のシングル『real Emotion/1000の言葉』がオリコンチャート初登場3位で累計23万枚のヒットで知名が急上昇した事がきっかけでした。

しかしその後の8枚目のシングル『COME WITH ME』や9枚目のシングル『Gentle Words』はセールスには余り恵まれませんでした。

しかし倖田來未ちゃんはそこでめげない元々の頑張りやさん気質と歌手という職業への執着・あこがれがありました。

元来太りやすい体質であった倖田來未ちゃんが、当時の彼氏の励ましもありまず8kgのダイエットに成功しました。

その綺麗になった体型をいかして「エロカッコいい」とマスコミから呼ばれる彼女独自のスタイルが確立されました。

ちょうど10枚目のシングル『Crazy 4 U』(TVアニメギルガメッシュ主題歌、avex mode)の頃です。

この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどがマスコミによって大きく話題にされました。

ここでやっと倖田來未ちゃんという一人の女性がアメリカでブレイクした時と同様に人々を釘付けにする歌姫へと認められるようになったのです。

「夢は願い続ければ絶対に叶うものだと私は信じている。」と倖田來未ちゃんは語っています。彼女が言うとそう思えてきてしまうのが素敵なことと思います。

倖田來未のエロカッコイイ

倖田來未のエロカッコイイ

倖田來未ちゃんも友情出演し、佐藤江梨子ちゃんが主演した映画「キューティーハニー」の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル『LOVE & HONEY』がオリコンチャート初登場4位を記録しました。

徐々にマスコミによって大きく取り扱われるようになっていった倖田來未ちゃんです。

しかし、この頃から初期の正統派路線が失われたことを嘆くファンも多く、コンサートでコンドームを客に投げつけるといった日本ではやりすぎの演出も指摘されています。

しかし、倖田來未ちゃんの勢いはもう止まりませんでした。

ライブやPVではバストや美脚を強調した露出度が高い服装や、バニーガール、女教師などのコスプレを披露し、その独特のスタイルが「エロカッコイイ」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」と形容されたのです。

セクシー路線でありながら男性よりも女性にそのサバサバした人柄、真っ直ぐさも受け入れられて人気を誇示したのでした。

2004年の末頃からは人気音楽番組に出演するようになり、4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、累計50万枚のヒット。

2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録を更新しました。

その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム『BEST~first things~』を発売。倖田來未ちゃんはは総合的に人を楽しませるエンターテイナーを目指していて、ベストアルバムの発売時に「ベストアルバムがミリオンセラーしたら、クラブのママをやります」と宣言しました。

そして、ベストアルバムの純売り上げ枚数はミリオンを記録、1日限定で銀座に「club 倖田」を開店したのです。

セールスは更に伸び続け累計は140万枚を記録しました。この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となったのです。

もし倖田來未ちゃんがいなかったら日本にこれほどまでに攻めの姿勢を格好良くさらけ出す歌姫は誕生しなかったかもしれません。

倖田來未の衣装

倖田來未の衣装

エロカッコイイと言われ続ける倖田來未ちゃんの衣装はとても日常では恥ずかしくて着れないし、真似したくても真似できない程セクシーで露出度が高いです。

倖田來未ちゃんだから着ることを許される衣装ばかりです。それだけに、歌のみならず衣装の注目も高く浴びています。

2005年のNHK紅白歌合戦のリハーサルでは、ノーブラ衣装でのステージを宣言した倖田來未ちゃんでしたが、むしろ紅白歌合戦に先立つ日本レコード大賞ステージでの衣装がマスコミから大きく注目を集めました。

豊満な胸を強調するファッションは衝撃的としてマスコミから報道されました。ミュジックステーションスーパーライブではパンツをはかずに出演した事もあります。

しかしながらそんな倖田來未ちゃんがこの間、露出度の低い浴衣をプロデュースしました。地元・京都の和装メーカーと組んで、プロデュースしました。

今回発売するのは10種類で、ハートの目をしたスカル(がいこつ)柄やキャンデー&パンプス柄などの斬新なものからサクラ柄の定番ものまで、倖田來未ちゃん自身がアイデアを提供したものです。

浴衣ならば露出度もないので倖田來未ちゃんと同じものを着て外に出られます。

京都出身の倖田は3歳から日本舞踊を習うなど、幼少のころから着物に慣れ親しんできただけに、どの柄にもこだわりを見せたといいいます。

倖田來未ちゃんは歴とした「京女」なのです。

京都の和装メーカー「西善商事」との共同製作で、昨年は同社から成人向けの中振り袖コレクションを発売。その実績が買われて今回の浴衣プロデュースとなったのです。

価格は1枚3万円で、帯は1万円(税別)。全10種類、各3色の30パターンあります。

倖田來未ちゃんがデザインしたものを着るだけで倖田來未ちゃんの「心の強い京女」の気持ちになれそうな気がします。